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ヒットソングリスト
想い出深いヒットソングの数々です。

ひとつの曲には、たくさんの想い出があります。くちずさむたび懐かしく、想い出してはくちずさむ・・・・
そんなペギーのヒットソングを、当時の想い出とともにご紹介します。

南国土佐を後にして
 昭和34年。天皇陛下御成婚の年。日本全国の街角から"南国土佐を〜"のメロディが流れ、戦後の歌謡史に残る大ヒットソングとなる。ジャズシンガーとしてデビューしていたペギーは、NHK高知放送局の依頼でジャンル違いのこの歌を歌ったところ、爆発的なヒットとなりたちまち高知県は、観光ブームに。昭和49年には高知のイメージアップに貢献したことで名誉県人の表彰を受け、あの大ヒットから40余年の歳月が流れた今日でも高知県知事・橋本大二郎氏が名誉会長である後援会「土佐ペギーの会」を中心に高知県民に温かく迎えられている。

つめ
 昭和32年、平岡精二のリサイタルで初演。歌の数が少ないので、もう一曲歌う事になり、楽屋で平岡が急遽彼女に贈った歌。当時ペギーは爪かむ癖があり、平岡はそれをヒントにして作詞をしたと、後日語っている。奥深い愛の別れの歌として、静かなブームが続き、いまでもカラオケなどでよく歌われている。 「年を重ねる程、味わいの出る歌。若い時には気付かなかったフィーリングが、歌えば歌うほどににじみ出る歌」とはペギー本人の弁。

学生時代
 作詞・作曲の平岡精二氏はペギーの2級先輩。「学生ジャズシンガー」として夜は米軍キャンプで歌っていたペギーが、始業ベルに間に合うようにキャンパスを走り回っていた姿や憧れの上級生との友情等、ペギーの学生時代を一つの歌にした。「平岡精二の作品集」のLPアルバムの一曲として制作され、最初のタイトルは「大学時代」だったが、ペギーの希望で「学生時代」に変更。いわば、ペギーの自分史を歌に託した1曲。昭和40年代の「うたごえ喫茶」の流行と共にヒット。 音楽の授業でも取り上げられるなど、今も多くの人々に愛唱されている。

ドレミの歌
 昭和35年、日米修好百年祭に招かれロサンジェルスで公演後、ニューヨークに飛び、そこで出会った、ブロードウェイミュージカル「ザ サウンド オブ ミュージック」。その中で歌われていた「ドレミの歌」を聞き、感動。その夜ホテルに戻ると夜明けまでかかって日本語の詞を制作した。1番の歌詞は、初め子供達好きな食べ物で作るつもりが「ファ」のつく食べ物がなく、「ファイト」になった。そして帰国後、地方公演の途中の車窓から見た、田舎の小学校の校庭での運動会。そこから、2番の歌詞「どんな時にも、列を組んで・・・」が完成した。ペギーの作詞した「ドレミの歌」は小学校の音楽の教材にもなり現在も子供達に親しまれて歌われている。
ペギーはその後、NHK-TV、BS2で放送された「世界我が心の旅」でこのミュージカルのモデルになったトラップ一家とも出会い、彼らの歌と家族の絆、愛に感動。
ミュージカル「その後のサウンド オブ ミュージック」をライフワークの一つとして制作を夢見ている。

ラ・ノヴィア
 昭和37年、ブラジル・サンパウロ新聞の招きでサンパウロで公演。その折りにお土産の歌として持ち帰った歌。現地の歌手に連日ポルトガル語の歌い方を教わり、帰国後レコーディング。空前のカンツォーネブームにものり、ペギーのヒットソングに加わった。ラ・ノビアはイタリア語だが、ペギーは日本語とポルトガル語で歌っている。歌のルーツは南米のチリーの作曲家の作品。原語のタイトルは「ア・ノイヴァ」(婚約者)という意味。








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